長崎平和記念式典へ参加しました。
79年前に投下された原爆により、多くの人たちが、人生を、家族や友人を、故郷の景色を、一瞬にして奪われました。
改めて、犠牲になられた全ての方々へ黙祷を捧げ、御霊の平安と核兵器なき平和な世界を祈りました。
ウクライナへの侵略を続けるロシアの核兵器による威嚇や、アメリカ議会で広島・長崎への原爆投下を例に出し、ガザ地区への核攻撃を容認する発言はとても許されません。
高校生平和大使は言います。
「核兵器と人類は共存できない。核から守られる平和はない」
式典後、長崎市内のホテルで被爆体験者と岸田総理、上川外務大臣、武見厚労大臣との歴史的対談がありました。
長崎の被爆体験者は被爆者と認められず、これまで歴代総理との意見交換に参加できていませんでした。
「当時10歳だった。爆心地から8.5キロ離れた場所で友達と一瞬に爆風で吹き飛ばされた。友人は60日後に亡くなった。なぜ、私たちは被爆者と認められないのか?」
悲痛な当事者の方々の声をうけ、岸田総理は武見大臣へその場で「早急に課題を合理的に解決できるよう、長崎県、長崎市を含め、具体的な対応策を調整するよう」指示しました。
80代後半となる被爆当事者の方々から
「自分たちに残された時間は短い。生きている間に被爆者として認めて欲しい」
と切実な声を聴いています。
戦争被害者である被爆者の救済なくして、戦後は終わりません。これからも国会で強く訴え続けます。
未来永劫、長崎が最後の被爆地であり続けるため、核兵器なき世界の実現に向け、平和を願う皆さまと一緒にこれからも全力を尽くします。
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